猪木・ペールワン
パキスタン人のタクシー運転手に「どこから来たの?」と聞かれ、「日本です」と答えると、「わたしはオノキが好きだ」と語り出した。オノキ? ひょっとしてアントニオ猪木のことかと気付き、「猪木と戦ったペールワンを知っていますよ」と言うと、目を丸くして、「オー、ペールワン!」と反応するではないか。停車して料金を払ってからもしばらく猪木・ペールワン戦の話で盛り上がってしまった。
ペールワンとは、パキスタンの格闘家アクラム・ペールワンのこと。猪木が1976年、パキスタン・カラチに乗り込んで異種格闘技戦を行った相手である。プロレス的には、「パキスタンの英雄」みたいに言われ、ペールワンを倒した猪木もパキスタンでは英雄扱いされているとされてきた。本当にそうなのかと半信半疑だったので、ワシントンのタクシーで伝説の猪木・ペールワン戦談義に花が咲くとは思わなかった。
パキスタン人の運転手に出会うと、前にブログに書いたパキスタン料理の「カラヒ」の話を訊くことにしているが、これからは猪木・ペールワン戦も話題にしてみよう。
ワシントンは急激に冷え込むようになってきました。夜の気温は1℃。天気予報を見ると、これから1週間で最低気温がマイナスになる日もあるみたいです…。
ルースの家
「ベーブ・ルースが建てた家」と言えば、ニューヨークのヤンキースタジアムだが、ボルティモアに「ルースの生家」があると聞き、行ってみた。
ボルティモアはワシントンから車で約1時間の距離にある港町。ボルティモアというと上原浩治もプレーしたオリオールズという連想しか浮かばないけれど、そのオリオールズの本拠地カムデンヤードの北側の路地裏に「ルースの生家」はある。今は博物館になっている。
博物館は2階建てながら、こじんまりしていて、ざっと見るなら10分ぐらいで回れてしまうほど。その中で特に目を引くのが、日米野球で来日したときに持ち帰った帝国ホテルの法被。ナイトガウンに愛用していたらしい。
分かりづらいところにあるわりには、お客さんが入っていたのはさすがルース。
ところで、ボルティモアとは全然関係ないが、ドナルド・トランプ氏は名捕手として知られるヤンキースのヨギ・ベラとドジャースのロイ・キャンパネラのファンだったそう。自分も野球チームではキャッチャーをやっていたというから、「トランプ氏は意外と頭脳派なのかも?」と自己暗示をかけたくなってくる今日このごろです。
onion or oil?
近所のスーパー「トレーダー・ジョー」で、おばさんが「フライド・オニオンはどこですか?」と聞き、店員が「え、フライド・オイル??」と聞き返している場面に遭遇した。「オイルじゃなくて、オニオン!」とおばさんが何度も言ってるのに、「あー、オイルはあっちですよ」とほとんどコントのようなやり取りを繰り返していた。
客も店員もネイティブ同士っぽかったが、それでも発音が通じないことがあるのだ。わたしの英語をアメリカ人に聞き返されても、たいして気に病む必要はないのだと妙な安心感を得たのである。
カレーではなく、カラヒ。
日曜日の午後、ワシントン中心部のパキスタン料理店でチキン・カラヒを注文。カレーではなく、カラヒ。パキスタンではカレーをカラヒと言うのかと思ったが、メニューには別にチキン・カレーもあった。「カラヒって何?」と店員に聞いてみると、「ボウルのことです」と素っ気ない。
店内には他に一組しか客はいなかったが、待つこと10分弱。さて、これがそのチキン・カラヒ。中華鍋のような丸い鍋に入ったカレー風の和え物を別の皿によそってご飯もしくはナンと一緒に食べる。この中華鍋みたいなのがカラヒなのか…。見た目も、食べ方も、カルダモンやクローブの効いた味付けもまさしくインド系(パキスタン系?)のカレーそのものであった。
むかし栃木県庁前にあったカレー屋がインド料理と銘打っていながら、パキスタンの国旗が掲げられていたのを思い出した。「パキスタン料理」といっても日本人に馴染みがないからだろう。オーナーはパキスタン人で、コックはインド人だったが。アメリカでは、インド人もパキスタン人も日本と比べれば圧倒的に多いから、きちんと区別しても売り上げに影響がないのかもしれない。